遊戯療法 アンナ・フロイトとメラニー・クライン|公認心理師試験
◆遊戯療法 プレイセラピー|公認心理師試験
公認心理師試験
概ね3歳から11歳までの子どもを対象とした心理療法の一種で、「遊び」を軸としたセラピー。世界初の児童分析家であるヘルミーネ・フーク=ヘルムートが、「子どもの精神分析には遊びが必要である」と提唱したことから始まる。※ヘルミーネ・フーク-ヘルムート(1871-1924)児童分析家。
アンナ・フロイト(Anna Freud, 1895~1982)
アンナ・フロイトは、精神分析の創始者「ジークムント・フロイト」の末娘。
アンナ・フロイトは遊びを子どもと治療者の間の治療同盟確立を促すものとして用いた。メラニー・クラインとは見解が異なるが、アンナ・フロイトは子どもの描画や遊戯の裏に潜む無意識を解釈する前に子供と治療者のラポールを確立することを重要視した。
◆遊戯療法の成り立ち
~児童分析から遊戯療法への発展~
児童分析は、心理学で有名なフロイトの娘であるアンナ・フロイトやオーストリアの児童分析家メラニー・クラインが、児童心理学に精神分析を持ち込んだことから発展を始めた分野。
アンナ・フロイトは「遊びはセラピストとの関係性作りのためで、分析の下地にすぎない」と考えていたが、メラニー・クラインは「遊びそのものが子どもの精神分析になる」と考えており、当時の児童分析学は複数の意見が対立する分野となっていた。
その後、複数の児童分析家のもと「遊び」の重要性が段階的にクローズアップされていき、それを遊戯療法として確立したのが、児童心理学者のバージニア・アクスライン(Virginia M. Axline, 1911~1988)だった。※アクスラインはカール・ロジャースに師事。
◆児童分析
アンナ・フロイトは、教育者として経験を重ねたのちに『児童分析という新しい分野を開拓』した。
アンナ・フロイトの功績としては「精神分析療法の児童への適応」と「自我の防衛機制に関する理論の展開」が主なものと言える。
アンナ・フロイトは、精神分析を児童へ導入することを試み、自由連想法の代わりに遊戯療法を取り入れて子どもに用いた。
フロイトは子供の親の影響を排除せず、子どもの親と治療家がチームとなって子どもを教育的に引き連れていくことを重視している。
この自由遊び中心の児童分析の中でアンナ・フロイトが強調しているのは、子どもへの教育的配慮の必要性があり、治療者は魅力的な大人という地位を得ることが大切であるということを述べている。
また、子どもの面接を主としながらも、子どもの環境要因である保護者の役割も重視して、親との面接の必要性も主張し、保護者への面接を実施し積極的に子どもにとって成長促進的な環境を整えることを目指した。
遊戯の観察は子どもの自我や無意識の分析、把握することに焦点を置きながらも、
大人と子どもの心性の違い、立場の違いに着目し「児童分析の技法を展開」していった。
アンナ・フロイトは、日常生活において両親と結びついているという点で、大人と子どもに最も大きな違いがあると考えていたのに対し、メラニー・クラインは、大人にとっての自由連想が子どもにとっては遊びに相当するだけであるという考えに基づき、遊びを用いる以外は大人にも子どもにも同じ技法を用いたのが特徴的と言える。
◆自我と防衛
アンナ・フロイトは、こうした児童分析を通して、実際の事例から自我の防衛機制についても理論を提示・展開。「自我と防衛」(1936)という論文の中で、主要な防衛機制10種類をあげて体系化した。退行、抑圧、反動形成、分裂、打ち消し、投影、取り入れ、自己への向き換え(他者に向ける怒りを自己に向ける)、逆転(愛を憎しみに変換)、昇華の10種類。
また、幼児期においては、現実の危険、不快を避けるための現実否認、自我機能の制限などを明らかにしている。アンナ・フロイトは、児童への遊戯療法を発端として、精神分析の諸問題を整理・明確化し、父フロイトから継承した防衛理論を防衛機制という理論で発展させながら、精神分析的自我心理学の確立に寄与した。
◆アンナ・フロイトの防衛機制
父、ジークムント・フロイトは「無意識」という普段人間が認識していない心の働きの部分に注目している一方で、アンナ・フロイトの場合は普段意識している自分、つまり自我がいかにして保たれているのか、そのシステムに注目している。
人間の持っている様々な欲望、それと上手に付き合いながら社会生活を送るためには、対処していく必要がある。人間が時に抱える葛藤に対してどのように自我を守っているのか、その防衛機制(防衛システム)を明らかにしようとしたのがアンナ・フロイトと言えます。
アンナは1936年に『自我と防衛機制』を発表します。本書において、防衛機制には10種類について述べられ、これらの防衛機制は単独で働くというより、相互作用しながら働いていることが指摘されている。
◆アンナ・フロイトの生涯(Anna Freud, 1895~1982)
精神分析の創始者「ジークムント・フロイト」の末娘で、イギリスの精神分析家。児童精神分析の開拓者。ウィーン生まれ。ウィーンのコッタージ・リセウム(Cottage Lyceum)に学ぶ。1918年、父から精神分析を学び精神分析の道に入る。最初の論文は、1922年発表。1923年から精神分析家としての実践を開始。父親に代わり、国際精神分析学会の事務局長、ウィーン精神分析訓練研究所の所長などを引き受ける。
1939年、父ジークムント・フロイトが癌で死去してからは、ますます児童心理学に専念した。メラニー・クラインとの研究上の意見の相違からイギリスの精神分析学会で論争を引き起こす。
その間にも弟子、エリク・H・エリクソン(1902~1994)などを多数育て、戦争が子ども達に与えた影響なども調査した。特に「幼児の防衛機制」についての研究が名高い。※エリクソンは「心理社会的発達段階」で自我発達を8つの段階に区分した。
ウィーンの研究所で治療と研究を通して、遊戯を導入した児童分析の基礎を築いた。又、精神分析の自我心理学を研究。1938年ナチスの侵入により父母とともにロンドンに亡命し、以後長く国際精神分析学会の中心的存在として活躍した。1982年没。